2010年1月18日月曜日

「有り難い」という気持ち。




阪神淡路大震災から15年。

あの恐ろしい神戸の街を俺は忘れることができない。

長距離トラックに乗って全国を飛び回ってた俺は当時24歳。

震災の瞬間、東京・晴海埠頭におった。
そうそう、地震のことなんかまったく知らんと…

荷受けの担当者が
「今朝、地震あったよね?ウチは高層マンションの上のほうだから、おっかなくて。」
って言うから
「へぇ~。」って答えてたな。

それからしばらくして奈良の母親から携帯に電話があって、
「あんた、大丈夫か? 奈良で地震があってなぁ、朝早ぉからびっくりしたわ。」って…。

んで、なんやあっちこっちで地震があったんかいな…


そうそう、ラジオもテレビも最初は神戸がえらいことになってるなんて言うてへんかった。

で、昼頃やったかなぁ、神戸がどうもえらいことになっとるっちゅう情報が飛び込んできて…

おいおい、神戸には連れがようけおるけど大丈夫かいな…

帰り荷は積んだものの関西に帰れんかもしらん。と思いながら東海道下りの国道ルートや。

案の定、愛知の岡崎で“最後尾”…
翌朝になってもあんまり動かんもんやから、東大阪の配車係と相談して愛知の某所に荷物をおろして、Uターン。静岡・富士に向かう。

夕方、富士市内某住宅メーカーの工場で積み込み。
そうそう、「救援物資」のゼッケンをボディーにつけて、一路、港町神戸に向けて出発や。
積み荷は仮設住宅。行き先は東灘区、青木(おおぎ)小学校の校庭。


救援物資のゼッケンは通行手形。全線高速は無料で通過。

明け方の4時頃に阪神高速神戸線の武庫川で下りて神戸に入った。

神戸はとにかくえらいことになっとった。言葉をなくすくらいや…

現場に入る安全なルートは具体的に指示されてたけど、途中でブレーキ!?

同じ現場に向かうトラックは19台。ほとんど同時に着いたのか前もその前もさらに前におるトラックも同じゼッケンをつけてる。

そいつらみんなブレーキや!

おいおい、どないなっとんねん? トラックから下りて前に歩いていくと…


道がない!!

いや、あるにはあるけど、腰より高いとこにあるやんけ… (呆然)
安全が確保されてるって嘘やんけ。

全車Uターンで別ルートを探して、数分後なんとか現場に到着した。

しばし仮眠タイム。


でも、しばらくしてションベンしたくなった俺はトラックから飛び降りた。

そこでの話や。トラックの前になんやら人影がある。


おばあちゃん…。


ここらへんのおばあちゃんやろうか。
正座して拝んでるんや…

「おばあちゃん、大丈夫? どないしたん?」って声をかけた。


「有り難い有り難い…。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」



おばあちゃんは俺のトラックに向かってそう言って両手をこすり合わせてた…。


俺、こんなヤツやけどちょっとは役に立ててるみたいや。そう思った…。





あれから15年。俺は3人の子供と嫁はんと信州で幸せに暮らしてる。

震災の日である昨日は、長野市におって空いた時間になんやら吸い込まれるように善光寺に行った…。



善光寺さんに行くのは生まれて初めてのこと。



「善光寺」の大きな看板に鳩と牛がかくれてるのも子供に教えてもろた。そうそう、長男と長女は「長野見学」で訪れたことがあるから…



その看板の下で鳩がぎょうさんおるのを見て、なぜか今日が「震災の日」っちゅうことを思い出した。




おばあちゃん、今はどんな暮らしをしてるやろ…

俺も不景気で困ってるけど、家があって家族がおって、この幸せな生活に感謝せなあかんなぁと…。

辛いことがあると人って自分のことだけしか考えれんようになるやろ。
そうやない。

そら、あかんに決まっとるやろ…

あのおばあちゃんの「有り難い」という気持ち。
今の俺にはようわかる気がする。


今日はそんな真面目な話や…。

0 件のコメント: