2011年7月28日木曜日
空に星、地に花、人に希望を…
無事、宮城県から帰ってきました。
こんな毎日、どないやねん。稼ぎも悪い上に出るもんは出て行く。
そんなタイミングで飛び込んできた被災地復興支援のお話。
仮設住宅建設のための大工の手が足りない…
もちろんボランティアで参加できるほど余裕がない自分にとっては“仕事”として参加させていただけるのは有り難いお誘いであったわけです。
応急仮設住宅の建設工事…
某プレハブメーカーの内装を作るいわゆる造作大工が自分に与えられた仕事であったわけですが、マンションの大工仕事なんて今までにやったことない自分は木造の大工、いざ現場で図面を見ながら話を聞くと「仮設」というわりに細かいところまでルールがある…。現場監督いわく国からの仕事だからいろいろあるとのこと。
まぁ、仕事のことを詳しく書いてもしょうがないのですが、心配していた水の確保と夏の炎天下で断熱施工するまでのプレハブの中は耐えられる範囲と言う意味では大丈夫でした。
それよりも何よりも震災が齎した深い傷跡…。
南三陸の宿には2000人規模の全国から集まった工事関係者や警察、消防、自衛隊の方たち…。そして若干地元の方が避難生活をされていました。
その中に、家族が一人も見つかっていない子供たちが十数人…。
自分が受けもつ現場は気仙沼市内で、宿から43Km。仮設の橋が架けられたり道路もかなり修復されたそうなんですが、まだまだデコボコしてたりして走りにくい。その道を車で片道1時間15分。その間、震災で消えてしまった町、津波で流された大小の漁船や車。見えるものすべてがスクラップというような状況の中、現場と宿の行き帰り…。やっぱりテレビでは何も見えていなかったというのを率直に感じました。
恐縮しながら写真を撮ってきましたが、今回だけはすべて公開することは控えたいと思います。
ニュースなんかで言われていたようにとにかく無数のハエがそこいらじゅうを飛んでいる。今まで嗅いだことのない変なにおいがする。砂埃がすごい…などなど、連日14時間のハードワークよりも一日そこにいることがあんなに大変だとは予想外でした。
現場は中学校の敷地。隣の体育館ではまだ多くの方が避難生活を続けている…。
たった数日でしたが、見たもの、聞いた話、体験した震度5強の余震、胸の詰まる思い…。自分が生きる意味をあらためて考えさせられた気がします。
そして、とてつもない大きな被害を受けながら、復興に向けた被災地の方たちの大きなエネルギーにヒトの強さを教えてもらいました。
また、機会があれば自分にできること、協力させていただこうと思います。
Facebookにも書きましたがいよいよ来週、市民ネットワーク伊那・特別企画で福島県の子供たち90人が伊那にやってきます。短い期間ですが我が家にも2人の女の子がホームステイすることになっていて楽しみにしているのですが、せっかくの機会ですし自然豊かな信州伊那谷での夏休みを思う存分楽しんでもらいたいなぁと思います。お互いにいい思い出になるといいなぁ…
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