2010年1月31日日曜日

モチ



今週末は高学年のアイスホッケーの試合が軽井沢で行われまして、我が家からは長男だけ参加させていただきました。なかなか、みんながんばってる姿には心を打たれましたよ。長男はどうもセンスがないっちゅうのか、みんなと試合をすることは楽しいみたいなんですが努力するタイプでもない。ようするにチームは大好きやけどアイスホッケーそのものが好きかと言うと、多分そうでもないんやと思いますね。だから、とりあえず出来るとこまで続けることのほうが大事かなぁって…。

さて、その話はおいといて、末っ子ですわ…。
特別目標にしてたわけでもないけど、ある大会のメンバーからはずれたことが相当ショックやったみたいで完全にヤル気が消え失せております。実力がないからしょうがないんですけど、それを本人がよく理解しとらんのか、同じような子が数人はいるみたいやけど、オヤジとしましてはべつにその道で食えるようにならなあかんわけでもないし、本人が辞めたいのに無理やり続けさせる理由もないんやなぁ。

正直、3人の子供にアイスホッケーをやらせると一か月に5~8人の愉吉先生が飛んでいくわけで、頑張ってるうちはしゃあないなぁで済むねんけど、本人に気持ちがなくなったっちゅうのが嬉しいやら寂しいやらで複雑な感じ…。(笑)
まぁ、低学年の子供らのモチベーションほど難しいもんはないんやろね…。


まだわからんけど、とりあえず今年度いっぱいがんばってくれよ。

2010年1月25日月曜日

新しい生命

ここんとこちょくちょく全国ネットのテレビで取り上げられている産直のお店「グリーンファーム」…。
我が家は言うまでもなくヘビーユーザーや。


初めて行ったのはいつのことかなぁ・・・。やっぱり月の輪熊がいるのを通りがかりに見てびっくりして立ち寄ったのが最初のように思うな。

そうそう産直の店っちゅうてもなんやら半分動物園みたいやし、骨董品も置いてるナゾな店や。(笑)

先日、行った時に子ヤギがいるのを発見。



かわいいやん、やっぱり。
トカラヤギのようでトカラヤギでない。そうそう、単なる雑種っちゅうことらしいけど、やっぱりあどけないちょこまかした仕草はええもんやな。



知ってる人は知ってるねんけど、我が家は永住地として選ぶ第一の条件が眺望でもなければ下水道の有無でもない。そうです。ヤギを飼える場所っちゅうことですやん。

で、まだ飼えるところまではいってないねんけど、ぼちぼち考えようかなぁ、ヤギ牧場・・・。

いやぁ、しかし。たまらんなぁ、癒されるぅ~❤



はい、お母さんといっしょ…って今まで走り回ってたのに、ポーズとってる?

2010年1月23日土曜日

聞き飽きるため息

一昨日、末っ子が8歳になった。
ほんまに時間がたつのは早いもんや…

最近、ストレスからか耳の後ろのほうがワンワンする。表現力が乏しくてなんともうまい具合に書けへんけど、とにかく身体のあちこちになんか変な感じがするねん。

なんやろうかなぁ、行くとこ行くとこどこに行っても誰と会っても、あかん。ため息ばっかり耳に入ってきて俺は気が狂いそうや…

結局、男っちゅうのはこんなもんや。そんなこと、わかっとる。死ぬ時が来たらさっさと一人であっちの世界へ行ったるがな…

しかし、金がないっちゅうのは辛い。
月曜日は重い足取りで会社に入る。終わっって家に着いたら玄関を開ける前に思いっきりため息をする…。
これ以上ないっちゅうくらい働いてるのに、頑張れば頑張るほど貧乏になってる気がする…

そう。一生懸命やればやるほど家族と離れていく…。気がする…

男っちゅうのは寂しいもんや…

とにかくあと、12年はがんばらなあかん。そのうち景気も良くなるやろ。
精神的にキテるあの人のためにも、早く良ぅなってもらわな困るな。


話は変わるけど、高校1年の頃にハマったこの本をまた読んでる。




松本清張の「日本の黒い霧」や。
風化しかかった本を引っ張り出してきて、また読んでみてるわけや。


アメリカに占領されてる時代の不可解な事件の謎…、やっぱりおもろい。

っちゅうか、こんなもん読みたいこともないねんけどな。忘れたいことがようけあって、本でも読んだろかっちゅうことや。


あかん。おもろない時は何を書いてもあかん…
締まりのない記事でごめん。

2010年1月19日火曜日

キツイ!

職場にしゃべり方と人をつかうのが下手なおばハンがおる。

自分より下の従業員に相談されることはちょくちょくある。

で、思ってもないフォローをするわけや、立場上。


でも今日は…


ほんまにヤル気をなくした。

もう二度と頑張らへん。


なんで俺がお前らのためにやったらなあかんのじゃ、ボケぇ!



…。


いや、昨夜見たテレビで「インターネット依存症」になってもたおばちゃんの話をやってたから、ちょっと真似してみただけ。



ほんまのところは、俺、もとからそんなに頑張ってない。(笑)

なんでって、おばハン、ほんまにキツイねん。
いや、俺には当たってくることはめったにないけど…


俺は顔も見たくない。

旦那がトップやけど、今までの経験上、こういう会社はあかん。



俺も早よ、次の道を考えなあかんな…。

2010年1月18日月曜日

「有り難い」という気持ち。




阪神淡路大震災から15年。

あの恐ろしい神戸の街を俺は忘れることができない。

長距離トラックに乗って全国を飛び回ってた俺は当時24歳。

震災の瞬間、東京・晴海埠頭におった。
そうそう、地震のことなんかまったく知らんと…

荷受けの担当者が
「今朝、地震あったよね?ウチは高層マンションの上のほうだから、おっかなくて。」
って言うから
「へぇ~。」って答えてたな。

それからしばらくして奈良の母親から携帯に電話があって、
「あんた、大丈夫か? 奈良で地震があってなぁ、朝早ぉからびっくりしたわ。」って…。

んで、なんやあっちこっちで地震があったんかいな…


そうそう、ラジオもテレビも最初は神戸がえらいことになってるなんて言うてへんかった。

で、昼頃やったかなぁ、神戸がどうもえらいことになっとるっちゅう情報が飛び込んできて…

おいおい、神戸には連れがようけおるけど大丈夫かいな…

帰り荷は積んだものの関西に帰れんかもしらん。と思いながら東海道下りの国道ルートや。

案の定、愛知の岡崎で“最後尾”…
翌朝になってもあんまり動かんもんやから、東大阪の配車係と相談して愛知の某所に荷物をおろして、Uターン。静岡・富士に向かう。

夕方、富士市内某住宅メーカーの工場で積み込み。
そうそう、「救援物資」のゼッケンをボディーにつけて、一路、港町神戸に向けて出発や。
積み荷は仮設住宅。行き先は東灘区、青木(おおぎ)小学校の校庭。


救援物資のゼッケンは通行手形。全線高速は無料で通過。

明け方の4時頃に阪神高速神戸線の武庫川で下りて神戸に入った。

神戸はとにかくえらいことになっとった。言葉をなくすくらいや…

現場に入る安全なルートは具体的に指示されてたけど、途中でブレーキ!?

同じ現場に向かうトラックは19台。ほとんど同時に着いたのか前もその前もさらに前におるトラックも同じゼッケンをつけてる。

そいつらみんなブレーキや!

おいおい、どないなっとんねん? トラックから下りて前に歩いていくと…


道がない!!

いや、あるにはあるけど、腰より高いとこにあるやんけ… (呆然)
安全が確保されてるって嘘やんけ。

全車Uターンで別ルートを探して、数分後なんとか現場に到着した。

しばし仮眠タイム。


でも、しばらくしてションベンしたくなった俺はトラックから飛び降りた。

そこでの話や。トラックの前になんやら人影がある。


おばあちゃん…。


ここらへんのおばあちゃんやろうか。
正座して拝んでるんや…

「おばあちゃん、大丈夫? どないしたん?」って声をかけた。


「有り難い有り難い…。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」



おばあちゃんは俺のトラックに向かってそう言って両手をこすり合わせてた…。


俺、こんなヤツやけどちょっとは役に立ててるみたいや。そう思った…。





あれから15年。俺は3人の子供と嫁はんと信州で幸せに暮らしてる。

震災の日である昨日は、長野市におって空いた時間になんやら吸い込まれるように善光寺に行った…。



善光寺さんに行くのは生まれて初めてのこと。



「善光寺」の大きな看板に鳩と牛がかくれてるのも子供に教えてもろた。そうそう、長男と長女は「長野見学」で訪れたことがあるから…



その看板の下で鳩がぎょうさんおるのを見て、なぜか今日が「震災の日」っちゅうことを思い出した。




おばあちゃん、今はどんな暮らしをしてるやろ…

俺も不景気で困ってるけど、家があって家族がおって、この幸せな生活に感謝せなあかんなぁと…。

辛いことがあると人って自分のことだけしか考えれんようになるやろ。
そうやない。

そら、あかんに決まっとるやろ…

あのおばあちゃんの「有り難い」という気持ち。
今の俺にはようわかる気がする。


今日はそんな真面目な話や…。

2010年1月16日土曜日

死ぬほど忙しい…。けど、死んだことはない。

早朝5時、外気は-6℃でございますが、なんやら気持ちのいい明けの星空が広がっとる。
めっちゃ気持ちええけど、のんびりもしてられへん。





冬の我が家はとにかく忙しい。
忙しいので簡単に書くけど、原因は子供らのアイスホッケーや。





忙しいけどなんで親まで一生懸命になるのか…

そこには大切なものがあるからやねんなぁ。

2010年1月15日金曜日

寒波の中で人はあったかい生き物や。



今朝、通勤途中に林道で前を走ってたサーフがスリップした後、脇の斜面を転がり落ちていった。
一瞬のことやったけど、「これはヤバいやろ。大丈夫かいな…」と車をとめて転がり落ちた車を見に行った。


2年ほど前に夜勤やったころ、夜中の道路で路側帯に乗り上げて動けへんようになってたあのおばちゃんを思い出した。
冷たい雨の中、助けてやったのに礼のひとつもなかったあのおばハンや。「ありがとう」ぐらい言えよな、ほんまに…


まぁ、そんなことはどうでもええ。運転しとった人は大丈夫やろか。

枯れた草の上に降り積もった雪はコワいけど、とにかく斜面を下りて行った。
血だらけでえらいこっちゃーやったらどないしよ。夜、寝られへんで、きっと…とそんなことを考えながらや。

道路から4メートルぐらい下。車はひっくり返った状態で助手席側のドアが見えててそのガラスは割れてないから中が見えへん。
近づいていってもうちょっとで様子が伺えるっちゅうところで

ブおぉぉぉ~ っとアクセル全開。マフラーから煙がモクモクや!?

うおぉぉぉ~、どないなっとんねぇ~ん? と斜面で膝下まで雪に埋もれて腰が抜けそうな俺。(笑)


そしたら窓が上がって… (逆さになってるから上がって開くんや)
中から運転しとった兄ちゃんが顔を見せてくれた。

「ごめんね。ありがとう。大丈夫だから自分でなんとかするよ。」

とりあえず大きなケガはなさそうや。安心した。

通りがかったその人の知り合いとバトンタッチでその場から離れたけど、とりあえず無事でよかったなぁ、兄ちゃん。(兄ちゃん言うても40代ぐらいかな)

無事言うてええのかどうかわからんけど、あの兄ちゃんはついとる。


ここんとこ、ろくなニュースがないからまずは無事で良かったなぁ~なんて思ったわ。
そう言えば1年ほど前に俺も事故ってるんやけど、大きなケガせんですんだ。


こんな時はお互いさまやけど、気をつけなあかんなぁと思ったね。

頭ン中でウルフルズの「大丈夫」が流れた…。

2010年1月11日月曜日

氷の上にも3年



この3連休は子供らのアイスホッケーの練習試合でほとんどの時間をとられた。
なんせ3か所のリンクで3兄妹がそれぞれに出番をもってるからこっちも大変ですがな。

今日の写真はそのうちのひとつ、長野市のエムウェーブ。
長女が「長野ジュニアレディース」として強豪、長野イーグルスさんとの練習試合。


先日はここでスピードスケートのオリンピック選考会があったところですわ。

毎回、来るたびに思うのがこの美しい氷。
蒸留水で作ってるらしいのですが、それにしてもこの当たり前のように透明な氷にはやっぱり金がかかってるわけですわ…。

案外、一般には知られてないこの整氷車。



スケート関係者の間では通称“ザンボ”と呼ばれている米国ザンボニ社製のものなんですよ。

リンクによってはこんなかわいらしいペイントのものもあるわけです。

さすが長野オリンピック以降、国際的な競技会などにも使われてるリンクだけあって氷も素晴らしい…

2010年1月7日木曜日

誕生日と「昭和」

今日は誕生日や。

この年になって誕生日がどうのこうのじゃないけど、いつになっても落ち着きのない自分には感心や。(笑)
ま、思うことはいろいろあるけれど…

あと1年でなんとか先のことを考えよ。

それから忘れたらあかん。俺の誕生日は「昭和」が終わった日。つまり昭和天皇が亡くなられた日や。
平成生まれが成人式やねんからな、もうだいぶ昔の話やけど…

何を言うても「平和」が一番やな。



お誕生日、ありがとう。

2010年1月3日日曜日

初志缶鉄! 鉄は熱いうちに呑んでまえ。



そうそう、子供らにとって新年というものははしゃぎ疲れて始まるものや。

俺らもそうやったなぁ・・・


奈良へ帰省したんやけど、実家近隣の町の寂れた雰囲気が衝撃的やった。

どうにか景気回復を待つしかないっちゅう感じやったなぁ。


なんとか、新しい一年も乗り越えなあかんな…。もうじき39になるし、来年は40や。
40を迎えるまでにやることやって、そこから先につなげたい。


仕事? いや、仕事は適当にやるねん。
ほんまにやらなあかんことをしっかりやるだけや。


しかし、こいつらはリッチや。うらやますぃ…